風の時代到来って。。
解説動画やブログの類を読んでもいまいち理解できなかったのですが。
宮古島の滑走路が見える駐車場の車内でカレーを食べていた時にふと理解できました。風に揺れる木々の葉を見て、自由に舞っていく葉っぱをボケーっと眺めていたら
「これだ!」と理解納得できたのです。
そんな夏の終わりに東京に行きました。
まだ離れてそれほど経っていないのに、電車もそびえ立つビル群もなんだか新鮮で。溢れる色の洪水と、綺麗に陳列されている物質に目が釘付けになりました。
「おぉぉ東京、、」としみじみ
「ここに住んでいたのか〜」と再びしみじみ
十数年当たり前だった環境を一度外から見るというのは実に新鮮で 、どちらが好きかと聞かれれば「うーん、、どちらも好きよ」というのが正直な気持ち。
東京だからといって冷たい悪い人ばかりじゃないし、愛ある人もいて世界中のクリエイティブが身近にある。南の島だからといって温かい人だけじゃないし、目も合わせず挨拶もスルーされることもあるけれど、ここには豊かな自然時間がある。
物流で不自由することのないこの時代に圧倒的な環境の違いがあるとすれば、それは日々目に映すものと耳に入れるもの、、なのでしょうかね。
大きな空や雲、月の満ち欠けや揺れる緑に寄り添って暮らすのか。はたまた不足することのない物質と、強靭な鉄筋の建造物に囲まれて暮らすのか。
静寂の中に現れる鳥や風の音に包まれて暮らすのか。電子音と幾重にも重なる人々の声を浴びながら暮らすのか。
心地よさの選択は人それぞれだから決して優劣は無く、定住を人生の目標とする人もいればジプシーのような暮らしを好む人もいる。
大事なことは「何事も自分を取り巻く環境のせいではない」ということで。パートナーのせいでも、恋人のせいでも、会社のせいでもない。全ては今日までの自身の選択の積み重ねであり、あれもこれも自身が招いたこと。長い時間を掛けて築き上げてきた結果の中を「今」生きているだけなのだ。いたってシンプル明快、いつも複雑化させて苦しむのは自分自身だったりするのです。
そして今、世界が大きく変化しているこのタイミングで自分が集めてきた概念を一つでも多く手放している人ほど、心地良い「何か」に出会えているなと強く感じる日々。「こうでなきゃいけない」から自身を解放して、ダメダメな日の自分にもまずは優しく。受け入れて、認めて、ゆるして、自身と話し合いながら仲良くなるほどに、自然に私が心地良い方を選択してあげられるようになるのです。
どこに住もうと、何を持とうと、私という魂はただ一つ。
優しく仲良く大切に。
突如として始まったこの新世界。
これから本当の本当に必要なものは物でも地位でもなく、赤ちゃんのようにフワフワで柔らかい自由な魂かもしれません。それは本来みんなが持っているはずで、歳を重ねてもなお大切に磨いている人はきっとほんの一握り。。
新時代、立派な鎧も剣ももういらない。
地にしっかり繋いでいた足枷を外して、「風の時代」自由にふわり舞ってどこまでも。